科学史と発達科学

  • 2009.12.03 Thursday
  • 17:55

2009/12/03



科学史と発達科学(シンポジウム予稿)



中山茂



科学者技術者には、つまり一般に理科系と言われる人は、文科系の人から見ると、人生の複雑な問題に対峙しえない、単純で子供っぽい(あるいは発達不全の)人のように見えることが多い。では子供のときに天文に関心を持った、あるいはカブトムシや昆虫に関心を持った人が、ずっと成長してそのまま天文学者として、あるいは動物行動学者として、それぞれの分野でリーダーになるか。そういう人もいるが、そうでない人もいる。



たしかに科学者になるのは、子供の夢をそのまま延ばしたようなところがある。それが大人になりかかる時、人生上の問題、思想上の問題、恋愛、就職、などで、いわば人文的、社会的問題にぶつかって、科学的関心がその下風に立つようになる。是をどう捕らえるか。私には、人文的、社会的関心が強まると、科学的関心事が子供っぽい関心になって、価値的には低位に置かれる。しかし、一生涯かけても、人文・社会的問題は解けないが、科学的問題なら通常科学として解ける。そういうことを悟って、科学に職業的にとどまる人はいる。科学史をやっている同僚にも、社会的問題意識に目覚めながら、職業的には科学者にとどまる人たちをよく見かける。ただ彼らも通常科学者であることは出来るが、それだけでは満足できないのである。



また科学者の中にも、隠れキリシタンのように、思想的問題に関心を持ち続ける人もいる。それに、実験科学者は、老年になって、あるいは定年になって実験器具から疎外されると、完全に興味を失うのがむしろ普通で、自分の若い日のやりたかったことを復活させる。



こうした問題は、思想形成期を扱う発達科学者としてはどう扱うか? 今、科学技術者を多く必要とするからといって、幼児からの科学教育と短絡的に結べるか? 戦時中の日本の、あるいはまたポスト・スプートニクの科学英才教育のように、若い頃に理科教育を詰め込まれたために、あとでその反動が来ることがよくある。 





ピアジェの言うように、系統発生と個体発生の関連の問題としては、果たしてアリストテレスが幼児期で、ニュートンが成長した後の段階のものと言えるか。これは古代よりも近代の原子・粒子説が大人のもの、発達したものと言えるか? 古代の原子説は人文系のインプリケーションを含むものであったが、近代のそれは自然関係に抽象し、単純化したもので、あるいは子供の発想に近い。



天動説から地動説への移行は、もっとよく当てはまるものであるが、これも現代の子供たちに対しては、外からの教育の作用以外には考えられない。



 一般にヘッケルからピアジェにいたる「系統発生と個体発生」との関係は、法則の不足していた生物科学系だから持ち上げられたもので、分子生物学が発達した今では、もっと機械論的な法則があるはずである


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