中国のテクノナショナリズム

  • 2010.02.26 Friday
  • 14:08

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中国のテクノナショナリズム関係の文献を見ている内に、
                           
                           





を見つけた。著者サットマイアーは今オレゴンの大学で教えているアメリカの中国研究者、紛争世代にあたり、文化大革命、裸足の医者にあこがれて、中国へ渡る過程で日本に寄った。その頃僕は科学史学会の関東支部長か何かをしていたのだろう、彼を呼んで研究会でしゃべらせた。裸足の医者は、僕は香港の医者でそれに関心の強かった人を知っていたから、情報は入っていたが、まだ日本では知られていなかった。だから日本人にはまだあまりピンと来なかったようだが、相当の熱の入れ方だった。その後、裸足の医者関係の自著を送ってきたが、裸足の医者賛美であふれていた。
実は去年、僕がUCLAにいたころ、近くのカレッジで中国現代科学史のワークショップがあって、そこで一緒になった。40年ぶりのことだった。彼に前に会ったときははだしの医者に熱を入れていたな、というと、それには答えようとはしなかったが、ずっとチャイナ・ウオッチャーをやっているようだった。
彼の書評した本は、著者Feigvenbaumが主に中国の軍事技術者の文献によって作ったもので、つい彼らの成功を賛美するような口調になりがちである。確かに毛沢東時代には彼らのイデオロギーは公的な支持を受けていたので、自画自賛的なものであったろう。
しかしサットマイアーは中国の戦後の毛時代には政治路線がしょっちゅう変転して、その間にこれら軍事技術者は連続して仕事できたのだろうか、と疑問を持つ。確かに初めて中国が原爆実験をした1964年にニーダムが日本に来ていて、これら軍事技術者のエリートは奥地に隔離されて保護されていたから、原爆実験ができたのだ、と話したものである。
もうひとつの疑問は、軍事技術援助の毛時代と文革後のハイテク鄧小平時代とでは、科学政策が違っているのに、その間軍事技術者たちはどうしたのか?中国では軍事技術が国策に沿って主流になり、それがモデルとなってハイテクも取り入れた、と軍事技術者はいうが、僕なんかが見た限りでは、むしろエレクトロニクスは外国企業から取り入れていた。前者はテクノナショナリズムで行けるが、後者は開放体制がないとうまくいかないのではないか? 後者では軍事技術者のようにイデオロギー的に公的支持を得ているわけではないから、十分開放体制賛美の言論がなされていないからではないか。



日本ではテクノナショナリズムはあまり表に出して主張しにくいのだが、中国ではその逆である。


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