148 僕のフランス語訳

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 15:37

僕のフランス語訳



僕たち世代の戦後日本にはサルトルやカミュなどが入ってきて、フランス語は文化の薫り高い憧れの言葉であった。ところが中学では英語、旧制高校ではドイツ語をやり、東大理学部の入試にはドイツ語を課されていたのだが、フランス語は大学に入るまで正規にやったことはない。東大では中村真一郎がフランス語を教えているので、それならただで聴けると出てみたら、千人を超す学生がひしめく満員の大教室でやるので、聴講は止めた。ちゃんとやるには、お茶の水の駅近くにある「アテネ・フランセ」に行くと良いことになっていたが、満員で断られた。しょうがないので、その近くのドイツ語とフランス語と両方を一人の先生が教える所でフランス語を習ったのだが、「あんた方、読めればいいんでしょ」と云われた。以来僕はフランス語の発音に自信がなく今に至っている。これなら実際には独習すればよいというものだった。



70年頃、僕は東大理学部と平凡社でも僕の先輩だった市場泰男氏から頼まれて、平凡社から出す世界大学選書の一冊。これは同じ著者のものを色々な国でそれぞれの言語に翻訳し出す試みであって、その日本語版を平凡社が引き受けたようである。送られてきた原書は英語とフランス語と二冊。オリジナルはジャン・シャロン(物理学者、同名の伝記作家が後に現れるので注意)のものが英語にも訳されている。僕はやはり英語の方が楽だから、英語版を先に手にとって、読んでいくと、どうもおかしいところがある。話が飛躍しているところがある。そこで、フランス語版と比べてみると、明らかにちょっと込み入った部分になると、訳者はその部分を飛ばしている。これじゃあしょうがない。フランス語の方を訳すことになった。



その頃僕は公害が酷い東京で子供を育てていたので、冬休みは八丈島の小屋に家族を連れて行って、子供たちの元気を取り戻すために過ごしていた。翻訳もその間に片付けようと思っていた。英語ならともかく、フランス語を訳すとなると辞書がいるだろうと、八丈の街の本屋に買いに行った。ところが高等教育は高校までしかない八丈島ではフランス語の辞書を売っていない。まあしかし、その内容は僕には判っていることなので、辞書なしでも訳し通せた。それは『宇宙論の歩み』として1971年に出ている。



内容と云えば、ふつうの天文学史の教科書であるが、ただ一つユニークな点は、ニュートンとアインシュタインとを並べる英語圏の科学史家とちがって、デカルトからアインシュタインを場のアイデアで結ぶもので、明らかに英米系に対してフランス人の「オリジナリティ」を見せるものであった。にわかには信じがたいが、それが記憶される唯一の点であった。



僕はハーバードの大学院の時、学位資格のために独仏語の英訳をする試験の準備をしたことがある。その時、独仏の英訳書をいくつか見たが、どれもこのシャロンの訳のようにひどいものだった。その点日本語の訳書は水準に達している。それは日本では翻訳文化が発達していて、訳書がアカデミックなメリットとして評価されるからであろうか。英訳書の場合は、古典の訳注ならともかく、研究書を訳したのでは著者より劣る人物と見なされるから、ふつうは訳書に訳者は名を出さない。だからこういうことになるのだろう。



シャロンとは直接交流はなかったが、90年代になって、突如電話がかかってきて、東京に来ているから会いたいという。会って聞いたら、世界平和教授アカデミーのカネで来たのだ、といっていた。


コメント
素敵な翻訳ですよ!
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